『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

試行錯誤により再構築されていく地域:岩手県大船渡市「居場所ハウス」が目指すもの

『近代建築』2015年10月号に寄稿した文章です。PDFはこちらをご覧ください。

試行錯誤により再構築されていく地域:岩手県大船渡市「居場所ハウス」が目指すもの

1.暮らしの再構築

復旧と復興の違いについて、復旧は被災前と同じ機能に戻すこと、復興は被災前と比べて質的な向上を目指すことだとされるが、復興に関してここで2点確認しておきたい。まず確認したいのは、東日本大震災の被災地で行われている高台移転などの様々な動きは地域の再生ではなく、再構築のプロセスとして捉えるべきだということである。現在求められているのは、地域の暮らしを震災前の状態に戻したり、逆に、それまでの暮らしをリセットして全く別のものを作り出そうとしたりする再生ではない。残されたものの価値を再評価し、それらをできるだけ生かしながら、必要に応じて新たなものを外部から取り入れること、言わば新旧のもの、地域内外のものを組み替え、組み合わせていくことで豊かな暮らしを実現していく再構築である*1)。
次に確認したいのは、この再構築のプロセスを国家、行政、専門家など誰かに任せっきりにすることの危険性である。これは東日本大震災から得た大きな教訓の1つでもある。誰かに任せっきりにした結果、人々が支援に依存する弱者として固定化されてしまったり、建設されたものが地域にとって負の遺産になったりすることは避けなければならない。大切なのは自分たちの地域のことは、自分たちで決めるという姿勢である。「自分たち」の範囲をはっきり線引きすることには排他性の問題が孕まれるが、それでも自分たちで決めるという姿勢は欠かせない。
地域の人々が再構築のプロセスに関わることで、徐々に豊かな暮らしを実現していくことが、現在求められている。以下では筆者が関わる復興に向けた1つの試みを紹介したい。

2.地域における居場所

NPO法人・居場所創造プロジェクトが運営する「ハネウェル居場所ハウス」(以下、居場所ハウス)は、米国ワシントンDCの非営利法人「Ibasho」の呼びかけがきっかけとなり、2013年6月13日、岩手県大船渡市末崎町*2)にオープンした。「居場所ハウス」は、「Ibasho」理念(図1)の実現、即ち、現在社会において面倒をみてもらう存在だと見なされる傾向にある高齢者が、何歳になっても地域で役割を担いながら住み続け、世代を越えた関係を築いていくための「施設でない場所」の実現を目指している。国際NGO「オペレーションUSA」がオープンまでのプロジェクト・マネジメントを担当、建物は米国ハネウェル社の社会貢献活動部門「ハネウェル・ホームタウン・ソリューションズ」の災害復興基金を受け、陸前高田市気仙町の古民家を移築・再生したものである(写真①)。
「居場所ハウス」は木曜を除く毎日10時から16時までカフェ・スペースを運営しており、コーヒー、ハーブティーなどの飲物を若干のお気持ち料で提供している(写真②)。周囲に店舗や飲食店がほとんどないため、2014年10月から毎月朝市を、2015年5月から屋外に増築したキッチンを活用し昼食の提供をスタートさせた。日によっては生花や郷土食作り、囲碁などの教室が行われたり、歌声喫茶や会議が開かれたりする。小正月、ひな祭り、子どもの日、七夕、お盆などには季節の行事や飾り付けを行っている(写真③)。1日の来訪者はおよそ20~25人であり、オープンから2015年6月末までの2年間で約13,000人の来訪があった(表1)。
東日本大震災の被災地では「居場所ハウス」以外にも多くのコミュニティ・カフェ、パブリックシェルターなどの施設でない場所が開かれている。これらの場所でキーワードの1つとされているのが居場所である。居場所には大きく分けて(1)ゆっくりできる、安心できること、(2)自分の力が発揮できる、役割があることの2つの意味があるとされるが*3)、コミュニティ・カフェ、パブリックシェルターなどもこれに対応した2つの役割があると言ってよい。即ち、(1)気軽に立ち寄って思い思いに過ごせる場所、見守りや助け合いが行われる場所と、(2)人々が何らかの役割を担える場所、様々な活動ができる場所という役割である。「居場所ハウス」が取り組んでいるのはこの2つを両立させることである。
「居場所ハウス」は安い値段でコーヒーが飲めるカフェではないし、あらかじめ決められたプログラムに参加する人々だけが集まる公民館やカルチャーセンターでもない。「居場所ハウス」が目指すのは、高齢者を中心とする地域の人が個々に楽しんだり、生き生きしたりすることではなく、地域の人同士が関わるための多様なきっかけを生み出すことで、豊かな暮らしを実現していくことである。そのためには、上にあげた2つの役割を両立させる必要がある。居場所とは個人の中で完結するのでなく、他者との関係において実現されるものだと言われるが、まさにこの意味で、「居場所ハウス」は地域の居場所になることを目指している。

(図1)非営利組織「Ibasho」による8理念

  • 高齢者が知恵と経験を活かすこと(Elder Wisdom)
  • あくまでも「ふつう」を実現すること(Normalcy)
  • 地域の人たちがオーナーになること(Community Ownership)
  • 地域の文化や伝統の魅力を発見すること(Culturally Appropriate)
  • 様々な経歴・能力をもつ人たちが力を発揮できること(De-marginalization)
  • あらゆる世代がつながりながら学び合うこと(Multi-generational)
  • ずっと続いていくこと(Resilience)
  • 完全を求めないこと(Embracing Imperfection)
140729-110816_D600 150208-150020_D600 150221-135700_D600

(表1)居場所ハウス基本情報

オープン2013年6月13日(木)
運営日時:カフェ10時~16時
(事前の予約で21時まで)
運営日時:食堂11時〜13時半
定休日木曜
カフェメニューコーヒー、ハーブティ、ゆずティー、カルピス、かき氷
昼食メニューコーヒー、ハーブティ、ゆずティー、カルピス、かき氷
運営主体NPO法人・居場所創造プロジェクト
NPO法人設立 2013年3月8日(金)
運営体制:月・火・金曜3人のパートスタッフが2人ずつ交代で運営
運営体制:水曜3人のパートスタッフがボランティアで運営
運営体制:土曜「おたすけ隊」のメンバー3~4人がボランティアで運営
運営体制:日曜「おたすけ隊」のメンバー3~4人がボランティアで運営
構造木造平屋
敷地面積966㎡
延床面積115.15㎡

3.場所のオープンはゴールではない

「居場所ハウス」ではオープンの1年以上前から地域の人々を交えたワークショップやミーティングが重ねられてきた(表2)。「ワークショップを開催する意義は、建築空間の使いやすさと愛着のためである」と佐藤らが指摘するように*4)、地域の人々が場所を作りあげていくプロセスに参加することは重要である。
使いやすい建築空間を実現したり、愛着を醸成したりすることに加えて、「居場所ハウス」のワークショップでは人々が施設でない場所とは何かを考える機会ももうけられた。「居場所ハウス」を外観が古民家風の高齢者施設にしないためには、自分たちで運営していくという意識を共有することが重要であり、そのためには暮らしを振り返ったり、地域にどのような人がいるかを共有したりすることが必要だからである。オープンまでに何度か開かれた「居場所ハウス」に対して自分ができることを出し合うワークショップでは、郷土料理が作れる、大工仕事ができる、お茶碗が洗える、草取りができる、お茶を教えることができる、英語が得意などの多様な意見が出された。「居場所ハウス」がオープンしてから、ワークショップで意見を出した人に声をかけ、お茶の教室を開催したことがあるが、ワークショップで出された意見をコーディネートする作業が十分でなかったこともあり、他の意見が運営に直接つながったわけではない。地域外からの働きかけでスタートしたプロジェクトを、地域がどういう態勢で受け入れ、運営に結びつけていくかの難しさがここにある。
また、特定の組織でなく地域を対象としてワークショップを進めていくことの難しさもある。多くの人がワークショップに参加できるように配慮することは必要だが、それでも地域の全住民がワークショップに参加するわけではない。そして「居場所ハウス」がオープンした後には、一度もワークショップに参加していない人もやって来る。オープン後の活動の広がりという意味で、ワークショップに参加していない人がやって来るのは歓迎すべきことだが、ワークショップには地域の一部の人しか参加しないという点が、地域を対象とするワークショップの難しさである。
こうした難しさはあるが、ワークショップはオープンまでのプロセスに地域の人々が参加するための重要な機会の1つであり、ワークショップで出された意見を取り入れながらオープンを目指すしかない。従ってワークショップで出された意見を取り入れると同時に、オープン後も新たな意見を取り入れていくという意識を共有しておくことが必要になる。あえて言うまでもないが場所のオープンが最終の目的ではないからである。ワークショップで出された意見をふまえて建物を完成させ、完成した建物を地域の人々が利用するというように、プロセスを明確に区切って捉える必要はない。

(表2)居場所ハウス略年表

出来事
2012214Ibahso、オペレーションUSAのメンバーらが末崎地区公民館長を訪問
2012514ワークショップ(居場所カフェの理念・イメージを共有する)を開催
2012516ワークショップ(メニューを考える)を開催
2012711ワークショップ(運営・建物を考える)を開催
2012915NPO法人・居場所創造プロジェクト、設立総会を開催
20121024「居場所ハウス」地鎮祭を開催
20121025ワークショップ(運営・建物を考える/自分にできることを見つける)を開催
2012127ワークショップ(自分にできることを見つける)を開催
201338NPO法人・居場所創造プロジェクト設立
201358ワークショップ(自分にできることを見つける)を開催
2013613「居場所ハウス」オープン
201371この日より週5回の運営をパート(女性1人)が担当
2013101この日より毎日の運営をボランティアが担当
20131124「居場所感謝祭」開催
2014113この日より週3回の運営をパート(女性3人)が担当
2014713「一周年記念感謝祭」開催
2014824「居場所ファーム」での農作業を始める
20141025第1回目の朝市開催
20151屋外にキッチンの増築を始める
201553「鯉のぼり祭り」開催。屋外のキッチンを利用した昼食の提供を始める
2015614「二周年記念感謝祭」開催

4.徐々に運営のあり方を決めていく

「居場所ハウス」は保育園、小学校、中学校などが集まる末崎町の中央地区に位置し、現在、周囲では災害公営住宅と防災集団移転による戸建て住宅、合わせて約100戸の建設が進められている(図2)。けれども周囲には店舗や飲食店がほとんどない。こうした地域の状況と、オープン以来補助金を受け運営している「居場所ハウス」の財政的な基盤を確立するために朝市と昼食の提供をスタートさせた。
末崎町はワカメ養殖発祥の地であり、ワカメをはじめとする豊かな海の幸がある。農業をしている人、料理や郷土食を作るのが得意な人、手芸が得意な人もいる。これらを扱うマーケットを開催することで地域に特産品を定着させ、地域内でお金がまわる仕組みを作りたい。こうした考えに基づき2014年10月から朝市をスタートさせた。朝市は毎月1~2回開催しており、2015年9月19日で15回目の朝市となった。まだ当初の考えを達成するには至っていないが、毎回、高齢者を中心とする人々がやって来て、買い物をしたり会話を楽しんだりしながら時間を過ごす光景が見られる(写真④)。朝市には末崎町内で農業や漁業などを営む人や、末崎町外からの店舗や業者の出品に加えて、「居場所ハウス」からも野菜や軽食を出品しており、朝市に野菜を出品するため2014年8月末から近くの休耕地を借りて農園(居場所農園)作りをスタートさせた(写真⑤)。
昼食については、キッチンカーを活用してイベント時に軽食を提供していた時期もあるが、保健所から許可を得られずキッチンカーでは常時昼食を提供することができなかった。そこで2015年1月末から屋外にキッチンの増築を始めた。かつて建築関係の仕事をしていたメンバーが中心となって増築を進め(写真⑥)、2015年5月からキッチンを活用して昼食を提供するようになった(写真⑦)。
以上のような経緯で朝市や昼食の提供をスタートすることになったが、スタート後は、まずあるやり方でやってみて、問題があればそれを改めるという試行錯誤を続けている。朝市では、収穫した野菜を出品するための手入れや梱包の方法、売上げの管理方法などを決めなければならない。昼食を提供するためにはメニュー、調理や食材調達の方法などを決める必要がある。これらの方法は最初から定まっていたわけでなく、その都度意見を取り入れ、試行錯誤しながら徐々に決めてきたものである。
その都度の対応により徐々に決めていくという運営スタイルは朝市と昼食の提供に限らない。例えば、運営体制も1人のパートスタッフが週5日運営を担当していた時期、毎日1~2人のボランティアスタッフが交代で運営を担当していた時期もあったが様々な事情があり、2014年1月からは月・火・金曜はパートスタッフ、水・土・日曜はボランティアスタッフが運営を担当する現在の体制になったという経緯がある。
その都度の対応により、その時々で可能なやり方で運営しているという意味で、「居場所ハウス」の運営のあり方はオープンからの2年間、常に変化してきたと言ってよい。

150808-103559_D600 141024-085854_D600 150206-111100_D600 150621-114625_D600

5.オープンしてから空間に手を加えていく

徐々に場所を作りあげるというのは、運営に関わるソフト面だけに限らない。キッチンの増築だけでなく、「居場所ハウス」では地域の人々が様々なかたちで空間に手を加え、徐々に使いやすい場所にしている。
「居場所ハウス」の空間は大きく土間と和室の2つに分かれている。設計段階では土間と和室とを緩やかに分離するため間に柱があり、また、和室を屋外(縁側)と緩やかにつなぐため和室の一部が板敷きになっていた。しかし運営を続けているうちに土間と和室の間の柱はない方がよい、和室の畳と板敷きの間に段差があると危ないという意見が出てくるようになった。そこで運営に関わるメンバーで意見交換をして、土間と和室の間の柱を撤去し、板敷きの部分にも畳を敷くこととした。これ以外に道路沿いの看板、本棚、裏の物置、ロフト部分への梯子、勝手口などを新たに取り付けたり、薪ストーブの煙突工事をしたりしてきた。屋外の空間は必要に応じて手を加えていくようにしたいという考えから、最初はあえて舗装していなかった。そして運営が始まってから花壇や畑を作ったり、案内板、法面の安全柵、駐車スペースなどを設置したりしてきた。
地域の人々が空間に手を加えることが大切なのは、どのような空間にするか、どのような備品を揃えていくかを議論すること自体が貴重なコミュニケーションのきっかけになるからである。また、かつて建築関係の仕事をしていたメンバーが大工仕事をしたり、花を育てるのが好きな人が花壇の手入れをしたりするというように、空間に手を加える行為は地域の人々が「居場所ハウス」に関わるきっかけにもなる。地域の人々が空間に手を加え、その結果が空間の変化として目に見えるかたちとして現れることで、「居場所ハウス」は地域の人が「このような場所にしたい」という姿に徐々に近づいている。
地域の人々が空間に手を加えていく上で、建築が手を加えやすい木造であったこと、あらかじめ屋外空間を舗装していなかったこと、ハネウェル社からの災害復興基金の一部がオープン後に備品や木材等の材料を購入するための運営協力金として確保されていたことなど、空間に手を加えやすい状況が揃っていたと言える。

6.地域の人々は「利用者さん」ではない

高齢者施設ではしばしば、高齢者が「利用者さん」と呼ばれることがある。「利用者さん」というのは丁寧な言葉のように感じるが、この言葉にはサービスする側とされる側とを線引きする意識が込められている。「居場所ハウス」では地域の人々が「利用者さん」と呼ばれることはない。些細なことに思われるかもしれないが、ここに地域の人々が作りあげていく場所としての「居場所ハウス」の本質が現れている。
地域の人々は「居場所ハウス」に対して次のように多様なかたちで関わっている。まずあげられるのが運営のための定例会である(写真⑧)。定例会はオープン直後の2013年6月29日から毎月欠かさずに開かれており、運営で生じた出来事の情報共有、イベントに向けた打合せ、運営のあり方についての意見交換などを行っている。定例会の参加資格をもうけているわけではないが、運営に中心的に関わるメンバーが毎回10~15名ほど参加している。運営に中心的に関わるメンバーの中にも毎日に顔を出す人、イベント時に協力する人、キッチンを担当する人など関わり方は多様であり、毎月の定例会にはこうした人々が顔を合わせる機会である。ただし、日々の運営で生じた出来事にその都度対応するためには月に一度の定例会の開催を待てず、その時にいるメンバーだけで対応せざるを得ない場合もある。しかしどのように対応したかを事後的に共有しておくことは欠かせない。地域活動において会議は形式的で、堅苦しいと捉えられるかもしれないが、「わざわざ言わなくてもわかる」という姿勢では前提を共有しないメンバー、顔を出す頻度が少ないメンバーに対して排他的になってしまう。地域で場所を運営していくためには、メンバーの裾野の広がりが非常に重要である。そのためには毎月開催するという形式を定め、出席すれば運営のおおよその方向性がわかり、意見を出し合えるという機会をもうけておく必要がある。
定例会以外にも様々なかたちでの関わりがある。仕事の経験をいかして花・植木の手入れをしたり、本棚や収納を作るなどの大工仕事をしたり、料理したり、事務作業をしたりする人もいる。朝市やイベントの時にテントを設置したり、薪ストーブのための薪を割ったり、農作業をしたり、使った食器を洗ったり、戸締まりをしたりする人もいる(写真⑨)。自分で作ったお菓子や漬物、収穫した野菜や果物など、様々なお裾分けがあるのも「居場所ハウス」の特徴である。自分には何もできないからと砂糖や小麦粉などを持って来てくださる90代の女性もいる。「居場所ハウス」はここには書き切れない多くの人々の関わりによって成立しているのである。
それと同時に、日々の運営を担うスタッフも一方的にサービスを提供する店員ではない。スタッフも時間があれば他の人と一緒にテーブルに座ってお茶を飲んだり、話をしたりしながら過ごすことができる(写真⑩)。
高齢になっても住み慣れた地域で住み続けることが大切だとしばしば指摘される。高齢になっても地域に住み続けるとは、何歳になっても役割を担いながら、助けたり助けられたりしながらやっていくことである。「誰かのために何かをしたい」という思いは大切であり、その実践は何かをする側にもされる側にも喜びを生む。しかしこれが一方通行になれば、する/されるの関係が固定化され、依存関係を生み出されてしまう可能性がある。悪意からでなく、「誰かのために何かしたい」という善意から依存関係が生み出されてしまうのである。だからこそ地域の場所では主客の関係を緩やかなものにしておくことを常に意識しておかねばならない。
繰り返し述べたように、「居場所ハウス」はその都度の対応の積み重ねという試行錯誤を通じて徐々により良い場所にしていくことを目指しているが、地域の全住民がワークショップやミーティングに参加するわけでない、オープンするまでどのような活動をするかわからない、どのような雰囲気の空間になるかわからないという消極的な理由で試行錯誤が求められるわけではない。試行錯誤というプロセス自体が、様々な人々が「居場所ハウス」に関わるきっかけになるのである。地域の人々が完成された場所の利用者ではなく、得意なこと、好きなこと、できることを通して運営に関わることで、共に場所を作りあげていける当事者になれるためには、試行錯誤というプロセスは欠かせない。

150224-133724_D600 150801-131341_D600 150731-125350_D600

7.地域課題の解決を越えて

運営に対して多くの人々から協力の申し出がある一方で、「居場所ハウス」側から、例えば音響に詳しい人、大工さん、事務が得意な人などに声をかけ協力を依頼することもある。朝市やイベントの際には近くの公民館からテントや長テーブル、椅子、太鼓などを借りることもある。地域の人的・物的な資源を運営にいかせるのは、地域のことを把握している人が運営に関わっているからこそである。
ここで考えたいのは地域の資源を運営にいかすことの意味である。コミュニティ・カフェやパブリックシェルターなどの場所では、地域の資源を運営にいかすことが必要だと言われ、既に述べたように、「居場所ハウス」オープン前に開かれたワークショップにも地域の人的資源を共有するという意味があった。けれども、あらかじめ価値が共有されたものだけが運営にいかされるわけではない。
「居場所ハウス」が農園にしているのは休耕地であるが、「居場所ハウス」があるからこそ、休耕地が農園にできる土地という資源として認識されたのである。また、「居場所ハウス」では災害時の備えとしてカマドを設置しているが、カマドは末崎町内の個人宅で一部が破損したまま数十年も放置されていたものを移設、修復したものである。このように初めは価値があると認識されていなかったものが、運営を継続しているうちに思いがけず役に立ったということがしばしば生じる。このことから言えるのは、「居場所ハウス」は地域をそれまでとは違う価値観で認識し直すきっかけを与えることで、地域のものを資源化する役割を持っているということである。
地域のものが資源化されていくプロセスを省いて外から眺めると、「居場所ハウス」は地域の資源を上手く活用して運営しているように見えるのかもしれない。しかし繰り返しになるが、最初から資源だと考えていたから運営に活用しただけでなく、運営を通して思いがけず資源であることが発見されたことこそが大切なのである。
地域をそれまでとは違う価値観で捉えるきっかけになるという点では、「居場所ハウス」で現在取り組んでいる朝市と昼食の提供にも同じことが言える。朝市や昼食の提供は、周囲に店舗や飲食店がほとんどないという地域の状況を受けてスタートさせたものだが、店舗や飲食店がないというマイナスの状態を埋め合わせるだけにとどまらない意味を持ち始めている。「居場所ハウス」は単に地域の人々が買い物や食事をすませるだけの場所ではない。身近に買い物や食事ができる場所があり、そこでは新鮮なものや旬のものが手に入る。顔なじみの人と顔を合わせたり、時には長い間顔を合わせていなかった人や地域外の人と出会ったりして、会話を交わすことができる。地域の人が主催しているため、ちょっと手伝えることもたくさんあり、お手伝いを通して人間関係の幅も広がっていく。朝市や昼食の提供は、地域の課題を解決することを越えて、「居場所ハウス」が豊かだと考える地域での暮らしのあり方を目に見えるかたちで示すものだと言ってよい*5)。
2015年6月に開催した二周年記念感謝祭に集まる人々の姿をみて「末崎町の銀座のようだ」と言った方がいるが(写真⑪)、朝市やイベントの時だけに限らず、「居場所ハウス」が生み出している人々が行き交ったり、集まったり、過ごしたりする光景が確実にある。こうした光景を目の当たりにすることで、事後的に「地域で暮らすとはこういうことだ」という認識が地域の人々によって共有されていくと考えている。

150614-091755_D600

8.再構築としての復興

その都度の対応による試行錯誤を通じて、地域の人々の存在やものの価値が(再)発見され、それらが新たなかたちで組み合わされることで、暮らしの豊かさが目に見えるかたちで現れてくること。こうしたダイナミックなプロセスこそが復興と呼ぶにふさわしい。
最後に考えたいのは、「居場所ハウス」は海外からの呼びかけによってスタートしたということである。東日本大震災の被災地では国内外を問わず外部から多くの人々が来て活動を行っている。暮らしの再構築は、こうした外部の人々をも巻き込んだものである。自分たちの地域のことは自分たちで決めるという時に、外部の人々が「自分たち」に入るかどうかは状況により異なると思われるが、1つ言えるのは外部の人々は最初からその地域の暮らしや価値観を共有しているわけではない。だからこそ、地域で当たり前とされている価値観を揺さぶったり、新たな価値観をもたらしたりすることで、再構築に寄与できるということである。
ただし、外部の人々の被災地への働きかけは一方的なものではなく、外部の人々が学ぶべきこと、気づかされることは多い。「居場所ハウス」の活動を通して述べてきたように、再構築のプロセスは建物を作る側/利用する側、支援する側/される側という枠組みにはおさまり切らないのである。このような枠組みを解いて地域に向き合えば、様々な動きが目に入ってくる。そうした動きがもつ可能性を、いかに豊かなものとしてすくい上げ、共有していけるかが、これから問われることになる。


注・参考文献

*1)鈴木毅「再構築に向けて」・『建築雑誌』Vol.120, No.1533, 2005年5月

*2)末崎(まっさき)町の面積は14.93k㎡。2013年12月末時点の人口は4,378人で大船渡市に10ある町の中で3番目に多い。東日本大震災では津波の被害を受け、末崎町内の5カ所に計313戸の仮設住宅が建設された。2015年8月20日時点で190戸と、まだ約6割が仮設住宅に入居している。

*3)例えば、藤竹は前者を「人間的居場所」、後者を「社会的居場所」を呼んでいる(藤竹暁編『現代人の居場所』至文堂, 2000年)。

*4)佐藤将之 稲葉直樹「復興事業は地域社会の将来像を基に(シリーズ「東日本大震災復興への提言」-6)」・『近代建築』Vol.69, 2015年6月

*5)ヒビノケイコ氏はブログ「ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。」(2015年3月9日)において「そろそろ「地域課題を解決する」という思い込みから抜け出したほうがいい」という記事を書いている。氏は「今大事なのは「いかにして、自分の地域を差別化するか?」「他の地域に勝つか?」「問題を解決し続けるか?」という発想ではなく、「いかにして光る場を作り出すか?」ということ」であり、「世界観の実現」だと指摘する。